自身がアニメファンだと考える人は、好きな作品があったり、尊敬するクリエイター、アーティストがいたりすると思う。人によっては、好きなスタジオがあり、そのスタジオが制作した作品は全て視聴している、そんな人もいるだろう。その際、クレジットでクリエイターをチェックするだけでなく、このクリエイターは特定のいくつかのスタジオが制作した作品でよく名前を見るなあだったり、こことここのスタジオはよく協力して作品を作っているなあだったりと気付くかもしれないが、このようにスタジオ間の関係に強く影響を与える、スタジオの系譜を知っている人は意外と少ない。
アニメ業界はよく村社会と言われる。これは、他業界に対して情報が閉じているという特徴があるだけでなく、有名スタジオに在籍していたクリエイターが独立して新たなスタジオを作り、さらにそのスタジオの在籍者が新たなスタジオを作る…ということを繰り返して成長した産業であり、人間関係を中心としたスタジオ間の関係が深いことを物語っている。そのような理由からも、アニメ業界に興味を持っている人、就職を考えている人はスタジオ間の系譜を把握することは重要になる。
とはいえ、重厚かつ体系的にアニメ産業の歴史を理解することは骨が折れる(またそれらは書籍として過去の有識者がまとめている)ものであるので、筆者は時間軸と主要作品名(一部略称)を紐付けた「系譜図」として簡単ながらアニメスタジオの歴史をまとめた。系譜図作成時の留意した点を説明する前に、国内におけるアニメスタジオの黎明期については触れておく。
日本で初めて制作されたアニメーション映画は、1917年に発表された「芋川椋三 玄関番の巻」「さるかに 合戦」「なまくら刀」の3作品であると言われている。当初は海外から輸入されたアニメーション映画を観た画家たちが、自分たちの手で作りたいと奮い立ち制作された。
次に、アニメーション映画において重要となるのが、1958年の東映動画(現東映アニメーション)が制作した「白蛇伝」である。これは国内初のカラー長編アニメ映画と呼ばれており、ドラゴンボールやプリキュアなど有名作品を作り上げてきた業界最大手スタジオの東映アニメーションの歴史的作品でもある。
そしてきたる1963年、TVの普及にともない一般市民に広くアニメの存在を知らしめた作品が「鉄腕アトム」である。ディズニーアニメの愛好家としても有名な漫画家である手塚治虫が、彼を中心として立ち上げた「虫プロ」で制作したこの作品が、日本初のTVアニメと言われている。この作品で虫プロは、東映とは違う省略技法を用いた制作方法を採用し、低コストで魅力的な作品を作りあげることに成功したのである。
このように日本におけるアニメの歴史は始まり、今に続く日本アニメ「ANIME」の地位を国内外で確立してきたのである。簡単ではあるが、アニメスタジオの黎明期を振り返ったところで、これより系譜図に話を移す。
基本的には、図のみを見て理解できる内容となっているが、作成時に留意した点は以下にまとめる。
- 系譜図は2種類あり、一つ目がスタジオ名、二つ目が各スタジオの主要作品名を基に作成している。
- 横軸には年を載せており、スタジオの配置から各スタジオの創設年度が分かるようにしている(スタジオの四角の中心が創設年度にあたるようにしている)
- 系譜図には、元請スタジオを中心に掲載している(例えば、元請中心でも特定スタジオの完全制作子会社や、グロス中心の会社は載せていない)
- 見やすくするため、全体の系譜を東映アニメーション系(赤)、虫プロ系(黒)、タツノコプロ系(黄)、トムス・エンタテイメント系(青)、ガイナックス系(紫)、その他(黄緑)に分類し、それぞれの系譜図を作成している。
- 参考ながら、〇〇系ごとに別途ページを作成しており、ページ内には下記掲載の該当する系の系譜図と系譜図中に掲載している現存する各スタジオのHPを列挙している。
以上が国内のアニメスタジオの系譜である。好きなスタジオがどのスタジオから派生して設立したのか把握できたと思う。意外と思う関係もあれば、知っている関係もあったと思うが、好きなスタジオから派生したスタジオが制作した作品などを改めて見ることを通じて、こういう作品を作りたくて独立を考えたのか!や、当時の業界の状況を踏まえると…などいろいろな思いを馳せて頂けると幸いである。
また、アニメ業界への就職を本格的に考えている人は、この系譜を見る中で気になったスタジオがあったら補足的に調べてみることを推奨する。各スタジオの中心人物などが見えて、作品とは違うスタジオの新たな一面を感じ取れるかもしれない。
<補足ページ>各系譜に該当する制作会社のHPリスト
<ライター:浅井恵斗、 編集:数土直志>