<ライター:中亮将>
WEB配信で多くの人を魅了し、そのファンの声で劇場化まで決まった作品の魅力とは、いったいなんだったのか。
2008年に配信された全6話のWEBアニメシリーズに新規シーンを加えて、2010年に公開された本作が、いまだに多くの人を引き付けるのはなぜなのか。そんな疑問に駆られ、先日劇場版「イヴの時間」を拝見しました。
物語の舞台はロボットが実用化されて久しく、アンドロイド(人型ロボット)の実用化が進みつつある時代の、たぶん日本。アンドロイドを人間のように扱う人やアンドロイドそのものに偏見の強い世界で、主人公の男子高校生は一緒に暮らすハウスメイドのサミィの奇妙な行動記録を発見したことをきっかけに、友人と二人で喫茶店“イヴの時間”に迷い込みます。
入口の電光掲示板には「当店内では、人間とロボットの区別をしません」という法律的にも、常識的にもグレーな店内ルールが。“イヴの時間”では、店内ルールが人間とロボット、双方に対して絶対のようで、外では頭上にリングを表示することを、法律で義務付けられているアンドロイドが当たり前のようにリングを消し、無機質な表情と声はどこへやら、全く人間と見分けがつかない姿で、くつろいでいました。その後、彼らがどのようなことを話し、どんな結末を迎えたかについて気になった方は、「イヴの時間」を見てみてください。
長々とストーリーについて書いてきましたが、むしろここからが本題です。「イヴの時間」がなぜ多くの人を魅了するのか。
物語の舞台設定が人を惹きつけるのか。SF作品の設定で使い古されたアンドロイドもので、人間とアンドロイドの関係を描いている点でも、ありふれた設定に思えます。物語の展開がすごくて、見る人を飽きさせないのか。物語の展開は、比較的分かりやすいもので、結末も見る人をあっといわせるほどではありません。
SF作品の肝である設定も、物語の展開も特別なものではない。なのにどうしてこんなにも心が揺さぶられるのだろう。考えた末に出た答えは、「イヴの時間」で描かれている世界とそこで生きる人たちが、私たちの世界ととても良く似ているからというものでした。
「イヴの時間」で描かれる世界は、表面的にみると私たちが生きる世界とは似ても似つかない、荒唐無稽な世界に思えます。しかし、「イヴの時間」の世界でおきている様々な問題は、現実の世界でも起きうることでした。
アンドロイドを人間のように扱う「ドリ系」と呼ばれる若者が増えていて、差別の対象となっている。少数派の趣味嗜好を持っている人たちが差別されてしまうことは、私たちの世界でもあることです。アンドロイドに仕事を奪われる、アンドロイドが健全な人間関係を破壊していると警鐘を鳴らし、過激な行動をおこすこともある「倫理委員会」というアンドロイド排斥団体のメンバーが、日常的にテレビに出ている。これは極端な例ですが、自分の意見が多数派で正しいと思い込み過ぎ、他人を傷つけてしますこともありますよね。
私たちの世界とよく似たところがある世界の中で、“イヴの時間”という小さな喫茶店の中でのみ、アンドロイド達は自分の素顔を見せます。リングをとって自由に話し、コーヒーを飲むだけで、彼らは人間と見分けがつきません。小さな一つの喫茶店の中でしか、人間のようにふるまえない彼らは、可哀そうでしょうか。
私は、彼らは幸せなのかもしれないと思いました。だって、彼らには自分の素顔を見せられる人と場所があって、それらを守るための勇気を持っています。私たちが生きる世界で、“イヴの時間”のような場所を持っている人は多数派でしょうか。
「イヴの時間」がなぜ多くの人を魅了するのか。それは、この作品が見る人に強い共感を訴える世界観を作り上げているからでした。SF作品としては設定が古典的で、ストーリーの展開がすごいわけでもない本作。しかし、アンドロイドと人間の交流というSFの要素を全面に押し出した作品でありながら、現代社会を生きる私たちに自分の生き方や身近な隣人について考えさせてくる、とても暖かい作品です。
<編集協力:浅井恵斗>