2023年3月20日に新潟国際アニメーション映画祭内プログラムとして文化庁と開志専門職大学の共同調査報告会「海外における日本のマンガ・アニメの価値づけの状況」が開催された。本プログラムでは共同調査の報告とその結果を踏まえたディスカッションが行われた。本記事では、レポート形式でその内容をお伝えする。
執筆:山田 涼矢
編集:ドキドーキ!編集部
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本セッションでは登壇者として文化庁の椎名ゆかり氏、本映画祭のプログラムディレクターで、ジャーナリストの数土直志氏、GEM Partners株式会社より代表取締役の梅津文氏、開志専門職大学より堀越謙三氏が参加し、同大学より成田兵衛氏が司会を務めた。
本調査の目的と調査方法
本調査は文化庁と開志専門職大学のアニメ・マンガ学部が共同で実施した。調査の目的は「海外における日本のアニメーションやマンガの流通の実体と、海外では誰がどのように価値を作っているか」である。この調査の背景には、世界で瞬間的なヒットを生み出し続けるだけでなく、ロングテールで受容される作品をもっと増やしていくべきではないかという問題意識と、後者のような作品を製作するメカニズムの探求がある。
調査方法は、ヨーロッパにおける日本のアニメーション・マンガに関わる批評家、出版社・配給会社などの価値づくりに関わっていると思われる人々へのインタビューである。数土氏がアニメーション、椎名氏がマンガを担当し、GEM Partnersが質問の設計と報告の整理を行った。
①アニメーションの欧米での受容分析~ファン・評論家・研究者、三者による価値づけ
セッションではまず、ヨーロッパにおけるアニメーションの価値づけに関する調査報告が行われた。本調査では、欧米を代表する日本文化の研究者であるヘレン・マッカシー(Helen McCarthy)氏、日本およびアジアの映画・テレビ文化の専門家であり、ブリストル大学映画テレビ学部教授のレイナ・デニゾン(Rayna Denison)氏、そしてパリを拠点とする映画の配給・製作会社、Charadesの共同設立者のヨハン・コント(Yohann Cornte)氏の3名にインタビューを行った。
ヘレン氏が唱えた価値づけの条件
ヘレン氏は欧米における日本のアニメーションの価値づけには以下、3つの層(レイヤー)があると答えた。それは、①ファンコミュニティ、②ライターや評論家、批評家、③学者である。
①は、作品やアニメーションジャンルを好むファンである。インターネットやSNSで感想を投稿する。自分が良いと思うものを発信し他の多くのファンに伝える。これは一種の価値づけであるが、商業主義(利益を得ることが第一の主義という)の傾向になりやすい面がある。また、インターネットによって正確でない翻訳が早く登場したり、ファンの目が1作品に集中したりする点に課題がある。
②はライターや評論家などの、リーダーシップをとり文化を広げる人々である。彼らはアーリーアダプターとして最新情報にアクセスし、良いものを見極め、正しい伝え方で大衆を導くことができる人達である。
③は①とも②とも違う、特に商業主義とは外れた観点で価値づけを行える人である。
またヘレン氏は商業主義一辺倒になるのを懸念しており、商業主義や人気以外の価値づけは放置していても作られない、とも話していたという。
デニソン氏による学者とアーリーアダプターの価値づけ
デニソン氏によれば、学者によるアニメーション関連研究が欧米における日本のアニメーションの価値づけの役割を持ち始めたのはここ数年だという。日本のアニメーションが海外のファンに広がっていったのは、アーリーアダプター達が周りの人々に作品を厳選して上映していったからだ。という考えを話した。
ヨハン・コント氏が考える価値づけのシステム
ヨハン氏は、海外における映画祭の重要性について言及した。特にカンヌ、ベネチア、ベルリンの3大映画祭でのノミネートや受賞は、世界の映画批評家・評論家や映画ファンに広まる絶好の機会である。しかし、映画祭に選ばれるにはアクションを行う必要があり、そのための準備も必要だという。
アニメーションパートのまとめ
海外における日本のアニメーションの価値づけについて、次のようにまとめられた。
人気と価値づけには必ずしも双方的な関係があるわけではなく、良い作品が自然に表にでて人々の目に触れることはない。そのための、価値づけには装置が必要であり次の3つが主軸となる。それは、「人」「映画祭」「メディア」である。
まず「人」はアーリーアダプターやファンなどを広く包括した概念である。インターネットやSNSの普及前では配給者、評論家や批評家が主に価値づけの役割を担っていた。インターネットが普及するにつれ、インフルエンサーやファンコミュニティが拡大し、より広く価値づけがおこなわれるようになった。しかし、ファンなどが評価する場合、商業主義や人気による単一視点の評価に陥りやすく、必ずしもこれが良いとは言えない。
次に「映画祭」は、一流の目を持つ有識者から賞という価値が与えられる。これにより多くの批評家・評論家、映画ファンだけでなく一般の人からも注目される。
最後に「メディア」である。メディアには大きく2つの役割がある。一つは映画祭と同様で、有識者の意見を載せ価値を与えるというもの。もう一つは作品やそのクリエイターを大きく拡散するものである。
この3つが価値を作るための装置であるとまとめられた。また、価値づけの難しさの一例として、映画のストーリー的な面白さと表現の面白さは観点が異なるため、評価が分かれやすいことが挙げられた。
②マンガに関しての報告「エリート主義評価と商業的評価」
欧米における日本マンガの価値づけに関して、まずセッション冒頭に「エリート主義的評価」と「商業主義的評価」という2つの異なる評価の定義に関する説明があった。前者を知識人による”文学的”もしくは”芸術的”の面での評価、後者を商業的成功、つまり大きな売り上げを得た作品に対する評価である。この2つは共存するものであるが、片方の評価に寄る場合が多い。
マンガに関する価値づけ
マンガの調査は文化庁の椎名氏が主導となり、イギリス、フランスの、海外のマンガ研究者を各々2人ずつ選びインタビューを実施した。インタビューにおいて、4名とも共通した部分が多かった。そのため、本セッションでは先に共通の部分をまとめて報告し、その後、4名のインタビューの詳細を掘り下げた。4名は以下の通りである。
日本のアニメーション、マンガ、現代日本文化を専門とするフランスのライター兼、編集者であるマシュー・ピノン(Matthieu Pinon)氏。バンドデシネ(フランス語圏のマンガ)を専門とするベルギーの出版者、ジャーナリスト兼キュレーター(博物館、美術館の展示、企画の選定者)でもあるディディエ・パサモニク(Didier Pasamonik)氏。コミックス研究者であり、ポピュラーカルチャーを専門とするロンドン芸術大学教授のロジャー・サビン(Roger Sabin)氏。同じくコミックス研究者であり、キュレーターであるポール・グラヴェット(Paul Gravett)氏である。
現地の日本マンガは「エリート主義的評価」とそれ以外という大きな2つのカテゴリに分けて考えられている。エリート主義的評価を受けている作品は「グラフィックノベル」として認識され、新聞の文化欄にレビューが掲載されても違和感が無いものである。日本の作家では『辰巳ヨシヒロ』や『つげ義春』などがこの評価を得ている。しかし、基本的には商業的に成功していない(売れていない)作品がこのような評価を受けている。
逆にエリート主義的評価を受けていない作品は、『ドラゴンボール』や『NARUTO -ナルト』など、アニメ化された商業的成功作品である。海外でMANGAと呼ばれる作品はこのアニメ化された人気作品を指している。更に、欧米での日本マンガは、全体的に10代向けとみなされており、ファン向けのサイトやSNS、Youtubeで取り上げられている作品がこの評価を受けやすい。
専門家が語る日本マンガの価値づけの状況
マシュー・ピノン氏
2000年代初頭には、マンガが全般的に暴力的で教育に悪影響を及ぼすという風潮が広まった。これに反発する運動が起こり、一部のマンガ作品は「エリート主義的評価」を受けた。その中で日本の作家は「宮崎駿」「つげ義春」「谷口ジロー」等である。
現代でも多様な作品が出版されているが、アニメ化されたマンガが注目される傾向にある。そのためエリート主義的評価をうけるためにも、日本にある多様な(素晴らしい)マンガをより発信していくこと。また、子供が無料でマンガを読める施設を作り、多様なマンガを提供し続けることが価値づくりになるのではないかという提案もあった。
ディディエ・パサモニク氏
パサモニク氏は、日本マンガの商品価値に関して語った。日本のマンガ(単行本)には、三つの良いPがありそれは、Price(価格)、Promotion(宣伝)、Product(商品)である。まず、 Price は値段の安さ、 Promotion は店舗のスペースに対応できる大きさである。そして Product は作品そのものが良いということである。日本のマンガ、特に『ドラゴンボール』『NARUTO -ナルト』など海外でも人気のある作品は成長物語が多く、読者である子供が成長していくのと同時にキャラクター自身も成長していく。そして、大人になっても抵抗感なくマンガを読むことができるのが良い点だと言っていた。
また、作品自体を古典として残すことが重要だという話もしていた。日本がマンガを古典作品として残せば、研究の対象にもなり、時代を超えて存在し続けることができるからである。例えば手塚治の『アドルフに告ぐ』を読むことで、当時の日本がナチズムをどう捉えていたかや日本から見たヒトラーのことについて知ることができる。
ロジャー・サビン氏
サビン氏は、時代の変化に応じて新たな評価軸を取り入れていくことが大切であるとし、その例として、『AKIRA』や『攻殻機動隊』がヒットしたことによってSF要素という評価軸が重視されるようになったことを挙げた。そのためには、時代に合った作品を作る人や先取りできる人を見つけて育てていくことも必要だと話した。
ポール・グラヴェット(Paul Gravett)氏
ポール氏は大きく2つの観点で日本のマンガについて話した。まず、世界的には「日本のマンガは暴力的で性的である」と誤解されていることを指摘した。だが実際には日本のマンガは元々雑誌で掲載されているケースが多く、雑誌毎に少年向け、青年向けなど対象年齢が区分されている。一方欧米では単行本による流通が主であるため、作品の対象年齢が分かりづらいという問題点がある。そのため欧米でも作品毎の対象読者を読者や購入者により明確に発信する必要がある、という。
もう一つの点は、2000年代にイギリスで『Manga Shakespeare』というシェイクスピア作品をマンガにするというイベントがあったことである。これに触れ、日本でも古典をマンガにすることでエリート主義的な評価を受けられるという意見もあった。
マンガパートのまとめ
椎名氏はマンガの価値づけもアニメーション分野にとても似ていると前置きした上で、インタビュー内容を次のようにまとめた。
海外展開においては、表現やストーリーが幅広い多様な作品を売り出すと同時に作家名で売り出すこと。各作品について現地の人にも翻訳を頼み、マンガの対象読者なども明確にして海外に日本文化を広げていく事が望ましい。
また、日本においては図書館に様々なジャンルのマンガをおいたり、芸術的や文化的な雑誌にマンガ欄を設けることで日本でも商業主義とは別の価値づけを得られるのではないか。
③トークセッション「価値づけを行うために」具体事例紹介とまとめ
セッションの後半は成田氏が調査内容や作品への価値づけに関する質問を行い、それに登壇者達が答える形式で進んだ。
始めに「細田監督をカンヌ映画祭で上映させるために、ヨハン氏はどのような方法を取ったのか?」という質問に、ヨハン氏へのインタビューを行った数土氏が詳細に答えた。
まず、彼らは『未来のミライ』をサン・セバスティアン国際映画祭に出品してノミネートを狙った。映画祭自体が横のつながりが強く、この映画祭ではカンヌの関係者も見ているので、ここで注目されればカンヌに近づく。実際にカンヌの監督週間に選出され、次作の『龍とそばかすの姫』はカンヌの本映画祭の方でプレミアム上映されるという快挙を達成することが出来た。それができたのは、監督の実力とスタジオ地図が監督の世界進出に積極的でかつ協力的であったからだという。
その後、実写の方も同じであるとして、堀越氏が北野武監督をヨーロッパにプロモーションした時のエピソードを話した。実写映画に関しては、有名にする方程式はほぼ決まっている。権威付けられた人間に映画を見てもらい評価を得る。その評価を世界に持っていき世界の権威者達にみせ、良い評価が得られればそこからはどんどん有名になっていく。トップの人が良いとした作品を基本的に悪く言うことはできないし、したとしても他の人から分かってないと言われてしまう。このことからも映画や映像作品が映画祭を中心に価値が作られていることが分かります、と話した。
マンガに関しては、成田氏から椎名氏に対し、フランクフルトブックフェアに参加した文化庁のモチベーションについての質問がなされた。
文化庁は、10月にフランクフルトのブックフェア(https://jmaf-promote.jp/festival/fbf2022/#report )に参加した。フェアでは6作品の女性マンガ家を選定し展示を行った。椎名氏はそれらの作家を選んだ理由として「私個人の問題意識として、アニメ化された作品はほっといても売れる。しかし、日本にはアニメ化されていなくても素晴らしく多様な作品が一杯あるので、まだ余り売れていない女性作家さんを選び、展示し、読んでもらうという最初の部分にたどりつきたかった。結果、相当数の引き合いがありました。」と話した。
これを受けて数土氏は「マンガはまだアクセスが不足している。より多く簡単に作品が読めるようになればもっと世界に広がるのではないか」と話した。またその中で、海外で読めるもので出版社が横断したようなサービスは出ていない、『ドラゴンボール』と『進撃の巨人』が一緒のアプリケーションで見ることができれば商業的にももっと良いのではないかという意見も上がった。
④多角的な評価でより豊かになる日本のマンガ・アニメーション
堀越氏は、自身が実写映画の世界で40年生きてこれたのは作家で売っていたからだとし、「作品は一回きりだが、作家で売れば過去の作品も後になって売れる。だから日本のアニメーションやマンガも作家主義にしたい。それが可能になれば、文化としてのアニメーションやマンガも商業的にも芸術・文学的にも存続しやすいだろう」と語った。
数土氏は、価値のある作品が必ずしも評価されるわけではないため、世界で価値づけを行うためには、絶対に装置(作品を送り出した先で評価されるための仕組みの理解とそれに対応した準備)が必要であるとした。また、世界へ売るためにはどうしても受け入れなければいけない条件というものもあり、細田監督とスタジオ地図のように各々が協力して世界へプロモーションを行っていくことが必要だと考えている、と述べた。
日本のマンガのこれから
日本マンガの海外流通における現在の問題点として、アニメ化された作品=日本で有名な作品のみが海外で売れており、日本マンガのごく一部しか海外で見られていないという実態がある。どの作品がヒットするかは国ごとの文化や国民性によって異なるため、今後日本のマンガ作品がより多くの国で読まれるようになることで意外なヒットを生み出す可能性があるという。
また、現状翻訳も日本で翻訳されているものがほとんどで、輸出された国の人に100%伝わる翻訳ではない部分が多いという。椎名氏は現地の人に現地の言語で翻訳して欲しい、と付け加えた。
日本の批評家的価値
セッションの最後に、マンガやアニメーションに関する日本での現状についても議論がなされた。
日本ではアニメーションやマンガに関して権威づけをする賞やシステムはあまりない。また、日本人の国民性からか、様々な立場の人が色々なことをいう中で作品の評価が成り立っており、それらを先導するような批評家や書籍も少ない。そのため、作品を判断する上で見るべき数値が興行収入や売上によりがちであるという。
専門家や有識者が売上以外の尺度で作品を評価し世に広げていくシステムを作り上げることも大切であるという結論でセッションは終了した。
終わりに
堀越氏に本セッションについて個別にコメントをいただいた。今回映画祭でアニメーション作品の批評を頼もうとオファーを送ろうとした際、日本のアニメーションに詳しい人から「アニメーションの批評家と言える人は20人程度しかいない」と言われたのだという。映画界には少なくとも1000数百人位はいるのに対してこの数が少なすぎるのが問題で、様々な意見を得ることができない。そのため、実はこの映画祭の裏テーマとして、アニメーションの批評家を生み出すこともあったのだという。
日本のアニメーションというのは人気ジャンルが固定化しやすく商業主義に固執的だ。つまりストーリーラインが似ている。悪く言えば暴力とセックス。もしこれが飽きられてしまったら、一瞬で日本のアニメーションというものが消え去ってしまう。だからこそ、商業主義や人気以外で評価できる人を増やし、埋もれている作品を引っ張り上げられるようなシステムづくりが必要だと思っている、と語った。
日本のアニメーションやマンガを存続・成長させるためには、価値づけができる人やその装置を積極的に作り、作品や作家が世界でより認められるようになることが必要であると感じた。(了)