アニメ「学」は成立するか?「アニメ研究の現在、国内と海外の見取り図」セッションレポート【IMART2023】

11月24〜26日、「国際マンガ・アニメ祭 Reiwa Toshima(以下、IMART2023)」が全日程オンラインにて開催された。本記事では、3日目19:00から配信されたセッション「アニメ研究の現在、国内と海外の見取り図」の内容をレポートする。

執筆:霧友 正規
編集:ドキドーキ!編集部


日本の「アニメ」は、国内外でどのように学術的な研究対象となっているのか。この課題を議論するため、慶應義塾大学経済学部准教授/アーチ株式会社海外展開顧問の三原龍太郎氏、横浜国立大学教授の須川亜紀子氏、長野大学企業情報学部准教授の松永伸太朗氏が登壇した。モデレーターを務めたのは、IMART実行委員会委員の数土直志氏だ。

アニメをめぐる多種多様な研究

数土直志氏がセッションの趣旨を述べた後、登壇者がそれぞれの研究について紹介した。須川氏は「アニメにおけるジェンダー研究とファン研究」と題し、「アニメファン」についての研究や、そのジェンダー論との接続などについて解説した。「OTAKU」についての研究はかねてより行われてきたが、その対象は往々にして男性であったという。2010年代以降のアニメファン研究では、当事者性のあるアニメファンの行動の質的研究が進み、女性ファンの行動も研究の対象となることが増えたことが紹介された。

労働社会学者である松永氏は、アニメーターをはじめとして、アニメ産業で働いている人々を対象とした研究を10年ほど続けているという。労働研究の分野においては、アニメ産業を研究する意義を説明する際には、①クリエイティブ職、②フリーランスが多い、③労働集約的、④産業に一定の歴史がある、といった特徴を踏まえ、「相互扶助しながら働くフリーランサーの労働の在り方」として報告がなされているそうだ。一方、社会学的な観点でのアニメ研究について、『アニメの社会学』の編著者でもある松永氏は、「学問という意味では、一個一個は面白いが、体系化するような取り組みは多くはない」と述べた。次は「アニメと場所」をテーマにした本を出す予定とのことだ。

三原氏は、日本語圏と英語圏、両方の言語圏におけるアニメ研究を行ってきた経歴を持つ。アニメビジネスの海外展開、特にアジアへの展開を、フィールドワークという手法で研究してきた。英語圏のアニメ研究の特徴の一つとして挙げられたのが、商業アニメの「商業」の側面が等閑視されていること。商業ベースで回っているのがアニメのはずなのに、その商業面が重要視されていない、むしろ「不要だ」という扱いすら受けがちであることに、三原氏は違和感を覚えているという。

アニメーション研究とアニメ学は違うのか

三者の研究の紹介が行われた上で、「そもそもアニメーション研究とアニメ学は違うのか」というテーマでの議論が始まった。世界のアニメーション研究と、日本の(商業的な)アニメとの間には、乖離があるという。須川氏は、数年前に日本で開催されたカンファレンスにおける経験として、「日本人は『アニメ研究』という言葉を嫌がり、英語圏の人たちは『アニメ』という言葉を使いたがる」というギャップがあったことを紹介した。そのころ、『アニメーション文化55のキーワード』という書籍を編集していたが、「アニメーション」ではなく「アニメ」を題とする最初の案には、強い抵抗感が見られたという。このことについて、須川氏は「アニメーションは芸術で、アニメとは違う」という意識があったためだと説明した。「アニメーション」が技法ではなく、アートである一方、「アニメ」は、消費される商業アニメーションを指す。そのような認識が、日本のアニメーション研究においてはまだ強いという。一方、英語圏では、「アニメ」は、日本と結び付いた特異なものとして扱われているため、日本のアニメの研究に対して「アニメ」という言葉を使いたがる、ということだそうだ 。

数土氏は、事前の打ち合わせで、須川氏が「アニメーション研究というのはあるが、アニメ学はない」と発言したことを紹介。それに他の登壇者も賛成していたそうで、「その真意は?」と問い掛けた。須川氏によれば、「学問として、一 つの体系にするのは重要」だが、アニメについては、「アニメスタディーズとして複数形で語ることはできるが、アニメ学として体系化するには、時間も足りないが、ディシプリン的にも複雑」なことが問題であるという。映画学のように、一つの確立されたものとして成り立っていくかもしれないが、「そこにも、三原先生が指摘されたように、何かしら欠けているということが生じてしまう」と須川氏は述べた。

この「欠けてしまう」部分とは、日本と海外の違いなのだろうか? モデレータの数土氏が問い掛けると、三原氏は、自身も現在模索中であると答えた。「文 化人類学だって、学問として体系化されたのはここ100年くらいの間と言われている。カルチュラルスタディーズだって、ちょっと前までは学問ではないと言う人たちがいた。次第に体系化して学問として認知されるようになった。将来的には、アニメだって同じような経緯を辿るかもしれない。しかし、そのために何が必要かというと、正直よく分からない」とのことだ。

もう一つ、「本当に「学」として成立させる必要があるのか」という問いも大きなものとしてあるという。「学」とした瞬間、線引きが行われ、今度は「これはアニメ学ではない」と何かしらの研究を排除するような論理が働いてしまう。現状のアニメ研究は、「学」として成立していないにもかかわらず、こうした排除の論理が既に働いてしまっている。「排除とマウントが起きるぐらいだったら、やらなくても良いのではないか」とも考えられるようだ。「各自が、アニメを題材にして、やりたい研究をやる。その中でお互いに緩く繋がっていくということでも良いのでは」と、三原氏は述べた。

商業アニメの研究を阻むものとは

労働研究を行う松永氏は、どのような場所で研究成果を発表しているのか。モデレータの数土氏からの質問に、松永氏は「まずは労働社会学の体系の中で発表することを考えているが、同じ対象(=アニメ)を共有している方々に対しても貢献がなければいけないと考えている」と答えた。労働研究においては、企業内部の研究が中心的である、という立場で教育を受けるという。しかし、「アニメについてはそうではなく、ファンのこととかも見なくてはいけないかもしれない」と松永氏は語る。「それを社会学の中に持ち帰ることで、『労働研究というのは企業の中だけでは完結しない』ということになるかも」と、アニメ業界に関する研究を持ち帰ることで、社会学に新たな考えを持ち込むきっかけになるかもしれないという展望を語った。

また、アニメーション研究において、商業アニメの研究がマジョリティになっていないことについては、言語の壁が大きいようだ。須川氏は、「英語で発表できるごく一部の人に、発言力がある」と語る。三原氏は、「地域としての日本はグローバルに接続されているが、日本語という言葉の壁は依然として高いのではないか」と述べた。日本の研究が英語に紹介される機会という点で、どうしてもそこでボトルネックがあるといい、なおかつ、興味関心分野の偏りの問題があるという。日本における特定の方向性の研究が英語に翻訳されないのは、英語圏の研究がその方向性に関心がないからであり、その食い違いをどうするのかを考える必要があると、三原氏は指摘した。

最後に、三人の登壇者が一言ずつ、「アニメーション研究のこれから、広がっていって学になるのかどうか」について述べた。三原氏は、「私自身は当面は私自身の問題意識に従って、その時々で志を同じくする人たちと一緒にやっていきたいと思っている」と述べた。松永氏は、「アニメーション学、アニメ学というのはあまり考えてこなかった、よい視点をいただいた」と述べ、「他の分野との交流をするにおいても、まずは一個一個のトピックで優れた研究があるのが重要」と語った。このセッションでの議論を通じ、「英語で発表するときは労働社会学になってしまうが、アニメでもやるべきなのかな」と考えるようになったとのことだ。須川氏 は、「研究と学の違いが曖昧になっているのが現状。しかし、蓄積されていけば、アニメーション学というものが成立するのではないか」と述べ、「国内外で大学院生 などの若い方が、アニメーションを研究している。海外の方もアニメを研究したいと日本に留学している。良い流れができてきているので、今後に期待したい」とまとめた。

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